テツモグラはいつももがいてます

はてなダイアリー「鉄道旅行とは巡ること」からの移行ブログです。鉄道を含む交通機関関連がメインだけれど実際には雑多ネタ。

次に4台集うのは本当に100年後、かも。

前回(2009年10月7日付)からの流れで、今日の記事は花車神明社例大祭を取り上げる。そう、前回の記事に書いたが、10月10日に新旧二つの「二福神車」が並ぶのである。
当日は小牧基地航空祭を観覧し、一度名鉄小牧線上飯田駅で下車して廃線跡探しに出た。そしてそのまま19時の宵山(夜の曳き揃え)に向かっている。旧上飯田線の遺構探しはちょっと余計だったが、まぁ夜の曳き出し及び神社前でのからくり奉納には間に合ったのでよしとする。旧上飯田線の遺構については撮影した画像があるので、また日を改めて記事にしておく……一応予定。まぁ、それはともかく。
上飯田駅から地下鉄上飯田線名城線桜通線と乗り換え、国際センター駅に到着。前回来た時に3番出口から駅改札口へと行ったのを覚えているからここはスムーズだ。もちろん今回は地上に出ても迷うことなく会場に着くことができた。
江川線を右手に見つつ、ビルの間の通りを探す。するとある通りにもう「紅葉狩車」が提灯を吊り下げた状態で出番待ちをしていた。運行担当者はあまりいなくて、宵山の前に休憩を取っていたようだ。山車の運行は朝から山車のある地区内で続いていて、通りに引きずった跡がしっかり残っていた。
辿っていくとその跡はやはり花車神明社へと続いていた。しかしそこには二台しかない。最後の一台、唐子車は江川線からやってきたのだ。

上記の画像、左が浜松市内で保管されている初代二福神車、右が名駅五丁目地区で保管されている二代目。この日も名古屋まつり当日と同じく浜松市より研精社の曳き手・梶方及び祭事担当が来ていた。もちろんあの「新たにビデオカメラ買ってしまった」曳き手さんも来ておられた。

同じ名駅五丁目地区より紅葉狩車。

名駅南一丁目地区から唐子車。

そして三地区の山車が集ったところで、初代二福神車以外は神社本殿に正面を向けるため「どんでん」を行い、その後からくりを奉納した。一方、初代二福神車はからくり奉納ではなく、お囃子の奉納を行った。その後「名古屋流三本締め」で万歳を唱和し、関係者同士が握手して神社前での日程は終了。初代二福神車以外の三台が一度十字路の交差部まで出て360度以上の「大どんでん」をした後、「唐子車」は六反方面へ、紅葉狩車は名駅五丁目の山車庫前へ、そして二代目二福神車は神明社の方へと戻っていった。

費用は膨大、でも感動はプライスレス。

さて、一通りからくり奉納が終わった後、関係者は休憩時間に入った。その間に「祭事責任者」らしき方を見つけて、一体浜松市から初代二福神車を運ぶのにいくらかかったのか聞いた。その方は初代の方ではなく二代目の方の祭事責任者だったが、「トレーラーにクレーンまで手配しないと積めない」とはっきりと教えてくださった。私はある程度ばらしてしまうのかと思っていたのだが、全く違っていた。完全に解体すると再組み立てが難しいそうである。だからその方が言うには、「三段構造」の一番上だけを外してからクレーン車で下半分を吊り上げ、そのままトレーラーに積んだらしい、と。もしトレーラーの他に本当にクレーン車も使ったのなら、一連の「初代二福神車陸送」にかかる費用だけで100万円以上かかったはずである。それに加えて研精社社員の移動費……そりゃ「近いうちにもう一度」はできないはずだ。納得。


冗談抜きで次がいつ、というか次があるのかどうか全く分からない。でももし次があるなら、是非とも事前に撮影機材を揃えてからまた来たい。ていうか、来年10月にもこの例大祭自体は開かれるそうなので、今度こそビデオカメラを購入して撮影したい。それも最新モデルでw。