テツモグラはいつももがいてます

はてなダイアリー「鉄道旅行とは巡ること」からの移行ブログです。鉄道を含む交通機関関連がメインだけれど実際には雑多ネタ。

戦後初めて「里帰り」した山車が錦通を……

10月3日と10月4日の2日間、名古屋まつりを見てきた。

上の画像を見て「山車が何でこんなところを」って思った方は、しばらく画像多数のこの長い記事にお付き合いの程を。


10月3日は予定通り「名古屋まつり」観覧。沿道でパンフレットをもらい、一通り目を通す。今年は名古屋市内から浜松市へと運ばれた山車「初代二福神車」が百数十年ぶりに名古屋に「里帰り」したそうで、その山車がエンゼル広場に展示中、とパンフレットには書いてあった。だが矢場町交差点付近で英傑行列を最後が通過するまで見ていたため、山車の組上げとからくりの上演は見れずじまい。仕方がないので一度大須へ行って買い物を済ませ、その後エンゼル広場に戻った。時刻は19時過ぎ。山車からからくり人形と幕が外され、後片付けが進められていた。が、その関係者の中に一人、山車の周囲でビデオ撮影をしている人がいた。声をかけると、「初代二福神車」の現在の保有先である「研精社」の関係者だった。彼はこの「里帰り」の様子を記録するため、最新モデルのビデオカメラを購入したそうである。陸送にかかる費用と組み立て及び分解に必要な人手を考えれば、そう何度も浜松から持ってきてまた持って帰るなんてできない。「次に来るなら100年後」などと彼が言ったが、意外にその通りかもしれない。彼の判断は賢明だったと思う。
さて、浜松からわざわざ山車を名古屋まで運び込んだ。となると気になるのは名古屋まつりの終了後。すぐ分解して浜松に持って帰るのだろうか? 彼に「この山車は明後日以降どうするんですか」と聞いた。すると意外な答えが返ってきた。
「明日午後5時ぐらいにここを出発して神明社に持っていって、1週間後の神明社の祭礼で曳き回しをするんですよ」
この一言で4日の予定は完全に書き換えられた……。そう、上記画像で[錦通大津]交差点を通過した山車は、この浜松市から来た「初代二福神車」なんです。

10月4日、着いたのが早かったから名古屋市役所まで行った。

10月4日、まずは「郷土英傑行列」を見に名古屋市役所へ。着いたのは1時過ぎであり、山車の揃い曳きと神楽隊、子ども会みこしパレードは終了した後。だが郷土英傑行列の信長隊はまだスタートしていなかった。信長(役)がこちらを向く時を狙って撮影したかったので、その場にしばらくとどまった。


信長隊が県庁前を通過したところで、大津通の車道を走って久屋大通駅まで向かった。大津通はこの日、一部の交差点を除き全面通行止めになっていた。久屋大通駅から上前津駅へ移動し、上前津駅から地上へ出て[矢場町]交差点方向へ歩いた。


大津通にたどり着くと、ちょうどフラワーカーパレードの最後が到着したところだった。中日フォトメイツのお姉さん方を撮影して、[矢場町]交差点付近まで移動する。ナナちゃん隊*1が目の前を左折していった。また大津通に戻って、英傑行列の到着を待った。
しばらくして英傑行列の先頭を走る「解説車両」が通り過ぎ、その後から少年鼓笛隊がやってきた。さらにその後からシャチばやし隊、織田信長隊、豊臣秀吉隊、徳川家康隊と続く。なおこの名古屋まつり、数年前ぐらいからか、その年のNHK大河ドラマに登場する武将などが「ゲスト」として呼ばれるようになった。今年は「天地人」、昨年は「篤姫」、その前は「風林火山」。で、来年は確か「龍馬伝」だったような……?



高知から観光課の職員をまた招き入れるのだろうか? 一回ぐらいは「出演した俳優」に登場してもらいたいものだが。

旧二福神車はどこを通って神明社へ?


パレードの終了を見届けてからエンゼル広場へ移動。葵連名古屋支部太閤連のステージ演舞が終わった後、からくり上演が披露された。からくり人形は市の博物館から持ってきた、とか紹介された気がするが自信がない。正直な話、私はこのからくりよりもむしろ、山車がどの経路を通って運ばれるのかが気になっていた。
山車曳き揃えもからくりの上演も名古屋まつり「山車揃」で見ることが出来る。特に山車曳き揃えに関しては旧二福神車の保有先(あるいは二代目二福神車の保有先)である中村区名駅五丁目地区だけでなく、国道19号線よりも東側にある東区古出来、東区新出来、東区筒井辺りからも集まっている。そして過去に見た山車巡行の様子から、名古屋まつりが終了した後は「解体のちトラック積み込み」なんて方法は取らず、恐らく山車をそのまま曳いて各地区へと戻っただろう、と予想できる。だがこの「旧二福神車」は浜松から持ってきてもらった山車である。いくら何でも「曳き回し」はしないだろう、「解体のちトラック積み込み」だろう……と思っていた。ところがからくり終了後、すぐさま初代二福神車の周囲に敷かれていた木の板がエンゼル広場南側の坂道へ向けて敷き直された。
「まさか、まさか……このまま曳き回すのかオイ」




こんなことはもう二度とないと思う。坂道を降りた初代二福神車は右へ向きを変え、何と久屋大通北行き道路へ!

初代二福神車は久屋大通北へ。名古屋三越とのツーショットなんて二度と拝めない。そして山車は信号が変わると同時に[錦通久屋]交差点に出て、名古屋テレビ塔をバックに「どんでん*2」を行った。


伏見方向へ向きを変えた初代二福神車は、そのまま錦通の左車線を堂々と通っていく。高速バスやトラック、一般車両などが右車線を次々と通る中、警察官に守られながらの通過。某社高速バスが偶然信号待ちのため横に停車して、客だけでなく交代の運転手までもが山車を見ていた。あるいは名古屋観光ホテルの前を通った時にも従業員が出てきて見てたし……。いや、あの時吉本芸人のサイン会があったそうだが、大声で言ったら面白いことになったかもしれない。
「おーい、浜松から山車が来てるぞーっ、二度と来ないかもしれんぞーっ」

日が暮れるとi735の弱点が露に……フラッシュ届かないorz。

そのうち日が暮れていき、代わりに車のヘッドライトと街灯がこの初代二福神車と関係者を照らしていく。周囲には私を含めて十数名のアマチュアカメラマンが付いていた。
ある程度進んだところで、ふと誰かが「この月をバックに撮るといいだろうな」と言い出した。見れば月が宵闇に輝いていた。信号で停まったところを見計らってフラッシュをONにし撮影を行う。が、何度やっても露出不足に陥る。いつもなら気づくんだけど……行動を共にしていたアマチュアカメラマンの一人から声が飛ぶ。
「それじゃあフラッシュは届かないよ。もっと明るいところで写さなきゃ」
ああぁぁ、やっぱり距離的に届かなかったんだorz。言われて初めて気づくこの馬鹿っぷり。気を取り直して山車が行く先へと先行し、[錦橋東]交差点で到着を待った。だが今度は周囲の光量不足でオートホワイトバランスが機能せず。ならばもういっそのことこんな形にしてしまえ、ということで……。

三脚に据え付けた上で露出をマイナス2段ぐらい落としてやるともう少しきれいに写せたかもしれない。まぁいいか。[錦橋西]交差点を右折して、山車はそのまま一方通行の通りを逆走。次の丁字路を左折した後、山車は坂道を下って神明社にたどり着いた。エンゼル広場を出発してから約1時間30分が過ぎていた。関係者の方々、そして警備に当たった地元警察の方々、本当にお疲れ様でした。


心配なのは台風18号の進路。

本来なら3日(土曜)に名古屋まつりに行って、4日(日曜)は蒲郡市内で行われる「JAZZライブイベント」に引っ掛けて蒲郡市へ行く予定だった。ところがそのJazzイベント「シーサイド・ジャズフェスティバル」は、メイン会場であるみなとオアシスがまごおり(竹島ふ頭)で観覧するには入場料がいることが分かった。しかも3日が会社の健康診断受診日だってのを忘れていた。金も下ろしてないし、胃撮影は血液検査の結果によって、と思ったら全員受診……何かこうボケっぱなし。しかし、そのボケのおかげでかなりおいしいネタを拾うことが出来た。
蒲郡線沿線の駅を見て回るのは、10月10日から10月18日まで行われる「蒲郡観光ウィーク」中にやる。高山祭観覧も中止。心配なのは現在接近している台風18号の進路。このままのコースだと東海地方直撃になりそうで、一番最後の画像にあるとおり、二台とも外に出したままだと強風が吹いたら倒壊する恐れが強い。どうしたんだろうな。解体したのかな、それとも重石をカバーに付けたのだろうか?


結果はたぶん明後日分かることだろう。

*1:名鉄メルサ前の女性型巨大人形。上半身だけ切り離して衣装を着せたようだ。

*2:前側を持ち上げたまま転回すること