テツモグラはいつももがいてます

はてなダイアリー「鉄道旅行とは巡ること」からの移行ブログです。鉄道を含む交通機関関連がメインだけれど実際には雑多ネタ。

あの堤防は、あの町並みは何年後なら撮影できるのか?

3・11がまたやってきた。
2011年の震災発生から今日で三年目を迎えた。未だに26万人もの住民が震災前に住んでいた土地に戻れていない。福島原発の処置状況についても劇的な進捗はない。阪神・淡路大震災の時よりも、新潟中越地震の時よりも復興に時間がかかるのではないか、26万人全員が戻ってくるのは十年後か、二十年後か、それとも三十年後か? その時にこの大震災の記憶は子供たちへときちんと受け継がれているのだろうか?
ところで、私は2009年の年末に東北へ旅行をした。旅行記録作ると言っておきながらまだ手付かずの(いい加減にしないと記憶薄れるぞ俺)http://d.hatena.ne.jp/tetsumogura/20091231/1253054051である。実は当時いろいろ撮影していた。そう、田老地区の震災「前」の様子である。


これらが今は、ない。

防潮堤の下に作られた防潮扉も撮影していた。画像で右上に「高さ4.5m」と書いてあるのがお分かりいただけるだろうか? 津波はこの高さを軽々と超えたのである。そしてその波はその向こう側にある、平和に暮らしているはずの人々を、住居ごと……。
先週木曜、金山駅コンコースで「震災写真展」が開催された。着いたのが18時過ぎでブース「内」の展示を見る事はできなかったが、壁面の外側に掲示された「航空写真による比較」は見る事ができた。その航空写真の中に、訪れたあの田老地区の比較写真もあった。見事にまっさらであった。そしてそれから三年経った現状の写真は、三陸鉄道線以外はほとんどないという状況であった。

その三陸鉄道線だが、4月に全線で運行が再開される。この復旧が何とか復興の足場となってほしいと切に願うばかりである。


もう一度、あの場所へ行きたい。何年後なら可能だろうか? 田老の堤防は何年後なら出来上がっているだろうか? いや、それよりもやっぱり気になる鉄道むすめ……などと妙なオチを書いた所で本日付記事はおしまい。ところでBRTになったあの路線はもうそのままバス路線にしてしまうのだろうか?