テツモグラはいつももがいてます

はてなダイアリー「鉄道旅行とは巡ること」からの移行ブログです。鉄道を含む交通機関関連がメインだけれど実際には雑多ネタ。

旧中央西線廃線跡保存再生運動が指し示すもの

先週、NPO法人愛岐トンネル群保存再生委員会(以降、同委員会)の主催による「愛岐トンネル群特別公開」が実施された。当ブログには書かなかったが2010年11月の公開にも行っており、2009年の時と合わせて3回ここに来たことになる。

私が来訪した4月30日は今にも雨が降り出しそうな空模様で、庄内川もかなり増水していた。そんな状況だったから来場者もちらほら程度だろうと思っていた。ところが定光寺駅に着いてホームに降り立てば何の何の。現地から帰ってくる客と今から向かう客が結構いたのだ。さすがに待ち行列は出来てはいなかったが、「ちらほら程度だろ」と思っていた私の予想は全然かすりもしなかった。

着いてすぐ、定光寺駅の階段より上流側を撮影したのが上の画像だ。中央から右下へ庄内川土岐川)が流れ、左下から左上へと来場者が列を作っているのがわかる。こんな天候の悪い時でもこれだけの来場者が来るようになった。この廃線跡はかなり有名になったなぁ。

どんどん開拓されていく旧中央西線廃線跡

入場口で100円を支払い、パンフレットをもらって入り口に架けられた鉄製の階段を上った。上りきって右へ進むと玉野第三トンネルの定光寺駅側(高蔵寺口)に着いた。2009年11月に来た時は竹と木で出来た幅の狭い階段を上り、玉野第三トンネルの古虎渓駅側から入って定光寺駅側でUターンした記憶がある。しかし今回私が驚いたのは入り口のことではない。2010年秋に来た時よりもさらに整備が進んでいた点だ。

まずは上の画像。場所は玉野第三トンネルと玉野第四トンネルの中間(よりも玉野第四トンネル寄り)にある(という記憶)。昨年11月の時にはこんなところに小屋なんてあったか? 当日は横笛の演奏付きで雰囲気は確かに良かったが。

玉野第四トンネルを抜け、隠山第一トンネルに着くと、下草は概ね刈り取られ、通行に支障が出る木の枝もほぼ切断されていた。その結果、もっと見晴らしがよくなった。上の画像は隠山第一トンネルを少し斜めから写してみたものだ。その見晴らしの良さは是非とも次回(2011年11月を予定しているとの話)、ご自身で確かめていただきたい。

隠山第一トンネルを抜けてしばらく歩くと、全長333メートルの隠山第二トンネルに辿りつく(上記画像)。トンネルポータルに崩落があった様子はない。このトンネルの上へは同委員会メンバーの手により整備された道が続いている。その道は以下の画像に写るトンネルポータル上部を左手に見て、庄内川土岐川)沿いに上流へと続いている。ただ、どこまでも行けるかというとそうではなく、途中で行き止まりになっている。

2009年11月の公開日当日は、行き止まりとなっているところから庄内川の河原へと降りる人が多数いた(私も降りてしまった一人)。実は当時の配布パンフレットには「庄内川の河原に降りる坂道」など一切記載されていなかった。ところが今回の公開では庄内川の河原へと降りる坂が簡単な構造の階段として整備され、監視のため同委員会メンバーが河原に二人も立っておられた。下の画像で、蛍光色のベストを着て立っている人は同委員会のメンバーである。

監視中のメンバーの一人からアドバイスを頂き、カメラを庄内川下流定光寺駅方面)に向けて撮影した(下の画像)。この庄内川土岐川)は名古屋市内の様子と山間部とで完全に様相が違っている。もしかしてラフティングができるかも、と言いたいくらいに急流である。もちろん増水時は絶対禁止だけれど。

公開終了時刻が迫ってきて、急いで隠山第二トンネルへと向かった。このトンネル、古虎渓駅側のポータル側壁から木が生えてきており、それを伐採すべきか残すべきか懸案となっているのだそうだ。伐採しなければポータル側壁は崩れる、伐採すれば「そのまま残す」という会の趣旨に反する……。難しい選択になるかもしれないが、彼らならどちらか最良の選択を取るに違いない。そう期待して、半年前と変わらずそこにある赤い橋を眺めてから引き返し、出口より出て行った。ちなみにこの一般見学会は15時で終了するので、12時までにはここに着いていないと全部見ていくことすら出来ない。

自然環境の保全運動は、やはり地域住民が動かないとダメなんだなぁ

この旧中央西線廃線跡保全活動が前述のNPO法人、「愛岐トンネル群保存再生委員会」により行われていることは、2009年11月のブログにも書いた通りだ。あの時には「何で自治体やJR東海が動かないのか」と書いたけれど、数多くの事例をネットや新聞で知ってそれは筋違いな話だと分かった。
地域に残る自然、古い町並みや建物、あるいは地域の交通手段を確保するため、地域住民やNPO法人、ボランティア団体らが何らかの活動を行うというニュースを数多く耳にしてきた。里山の自然を保護するため活動を続けるNPO法人は数多いし、町並みを保存するためNPO法人組織を立ち上げる動きも多く見られる。中部地区でいうと、第三セクター化された福井鉄道は沿線住民による存続運動の成果だったし、名鉄西尾・蒲郡線の存続に向けて沿線住民が動いていることは何度も当ブログで取り上げた。各地の山岳で清掃活動にあたるボランティアも、その山の自然を守るという点で見れば他と同じだ。その地域にとって大切な何かを守るためには、まずその地域に住む人やその恩恵を受ける人が真っ先に行動を起こさなければならない。このことは活動が継続し、あるいは成功している事案の全てに共通している。地域の住民はどうしたいのか、残したいのか残さなくてもいいのか、その意思表示がないと自治体も動きようがないのだった。
でもね、今回の旧中央西線廃線跡保存活動、この先もしかしたら大変なことになるかもしれない。彼らが1500万円の募金をもって買い取ろうとしているのは「第3号から第6号トンネルまで」、つまり保存の対象とする旧中央西線廃線跡のうちたった約1.5キロの区間だけなんです。隠山第二トンネルの先にはまだ廃線跡が続いている。そしてそこも彼らが保存したい区画なんです。もしその残っている部分も彼らが募金により買い取りたいなどと言い出したら、一般市民からの寄付金だけで「達成」できるとは到底思えない。その時春日井市と多治見市が自治体としてどう関与していくのか、たぶんこの先問題になってくるだろうと思うのだけれどどうなんだろう。私は悲しいかな、事態の推移を見守ることしか出来ないけれど。


なんて話を5月6日付ではなく5月5日付の記事にした理由は、一般見学会から帰ってきてすぐ投稿できず、下書きに添削ばかりやっていたからでして。やばいなぁ、ボケてきたかそれとも元からキ○ガ○だからか……などと妄想オチで締めくくってこの記事は終わり。そういえば鉄道関連の保存活動で、「動態保存という形で鉄道車両を遺すプロジェクト」があったことを思い出した。聞いた話だと、ATSが未整備で未だに寄付金を募っているらしい。私がどの保存活動のことを言っているか、ネットで調べずとも分かった方は鉄道ファンです。