テツモグラはいつももがいてます

はてなダイアリー「鉄道旅行とは巡ること」からの移行ブログです。鉄道を含む交通機関関連がメインだけれど実際には雑多ネタ。

今後7000系の乗車イベントはどこでやるべきか?

これは冗談抜きの話。
昨日付けの日記にて、碧南駅へ行ってみたら利用者数があまりにも少なくて驚いたと書いた。行ってみるといい。学生がもう冬休みに入っているとはいえ、あの少なさはあまりにも悲惨だから。沿線住民は「名鉄三河線碧南〜知立間」という路線をどう見ているのかと首を傾げたくなる。
実はこの現状は蒲郡線吉良吉田〜蒲郡間や広見線明智御嵩間でも起きている。ところが蒲郡線三河線広見線では、何か状況が違うような気がする。少なくとも行政側の対応という点では、御嵩町のほうが路線存続に向けて大きく動いている、そういう風に見える。


広見線明智御嵩間では住民グループが既にできていて、「利用して残そう」と必死に活動をしている。御嵩町も広報2008年12月号より「シリーズ名鉄広見線を守ろう!」という連載を始めており、12月号で自動券売機によるきっぷの買い方が、2009年1月号では「SFパノラマカード」による運賃支払いの方法が示されていた。御嵩町の動きは少なくとも、福井鉄道の存続に貢献した沿線三市(福井市越前市鯖江市)に似ている気がする*1
http://www.town.mitake.gifu.jp/kouhou/2008_12/05.pdf
一方、名鉄三河線沿線の市となる碧南市では、既に1998年12月4日開催「平成10年第7回定例会」で、議員から
三河線複線化期成同盟会を結成して30年余りになるが、複線化や高架化の話のその後はどうなっているんだ」
と当時の市長に対して質問が出されていた。高架化とか複線化とかいう話が既に沿線自治体より名鉄側に出されていたのだ。しかしあれから10年、蒲郡線碧南〜吉良吉田間の廃線を少なくとも碧南市は止めることができなかった。そして刈谷〜碧南間は乗客まばらの閑散路線から抜け出せない。もし住民運動が起こっているなら、「乗って残そう三河線碧南〜知立間」と書かれた幟の一本くらい、碧南駅に立っていてもおかしくない。他の沿線自治体、例えば刈谷市側はどう考えているんだろう。
蒲郡線についてもどうも同じような気配。蒲郡市議会の会議録を検索すると、平成20年6月定例会において議員発言があったことが分かる。その前にもあったかもしれないが、「名鉄蒲郡線 存続 廃止」でAND検索したから漏らしたかもしれない。それはともかく、産業環境部長が今頃「名鉄もウォーキングをやっていると聞いておりますけれども、それと連携してできるといいのかなと思ったり」なんて発言をしているようでは遅すぎるし、議員らも議員らで、名鉄蒲郡線西浦駅や形原駅の駅前に、それも平日に立って利用者の数をチェックしたことあるのかと聞きたくなる。「存廃問題」が新聞で報じられる以前に、沿線各駅で利用者数を調べれば何らかの対策は打てたはずだ。その点で、碧南市よりも少なくとも自治体の対応としてはお粗末過ぎる。


この3路線の沿線区域は共通して、名鉄が唯一の鉄道線であり、廃線になればあとはバス路線に頼るしかない。ではこの路線を残すためには? この区間を主に利用するのはテツじゃない、地元住民だ。その住民が同区間にもう一回目を向ける何か起爆剤になるようなイベントが欲しい。そう、その起爆剤こそが「7000系をイベント列車として走らせる」という話。
イベント列車を走らせれば、沿線に少なくとも「テツ」は集まる。そしてそれを知った沿線住民も駅に集まるはずだ。これで駅に少なくとも住民を集めることはできる。そこで話をする。
「残さなければ後々自分たち、そして子供の世代に禍根を残す」
これで住民が動かなければその時はその時。
バス路線だけで発展した市町村なんて、全国にどのくらい例があるのか?
鉄道の駅から路線が伸びていて、次の駅まで列車が走る、というのが町の発展という事項にどのくらい重大な影響を及ぼすのか、住民一人一人がそれを理解できない限り、これら3路線は数年のうちに消えてしまうだろう。


名鉄名鉄だ。こんな「乗車イベント」は、少なくとも犬山線名古屋本線河和線常滑線とかでやるイベントじゃないと思う。西尾線とか蒲郡線とか三河線とか広見線とか、閑散路線の方で乗客誘致のためにやるべきだ。そしてそのイベントを本気でやるなら、7000系だけでなく1000系4両編成のうちで状態のいいのを1編成丸ごと残し、沿線自治体と協力して事前申し込み制のイベント列車として走らせるべき。特に蒲郡線三河線については沿線に観光施設が多数ある以上、これはやりやすいはずである。


こんなピコ手ブログの記事が関係市町村議員の目に留まるかどうか……。
妄想乙、俺!

*1:今後鉄道部門まで存続するかどうか分からないから、本当は「貢献した」なんて書いてはいけないのだが、一応福井鉄道自体の存続には貢献したという意味で。