テツモグラはいつももがいてます

はてなダイアリー「鉄道旅行とは巡ること」からの移行ブログです。鉄道を含む交通機関関連がメインだけれど実際には雑多ネタ。

でも時間があるから途中下車。その1

 まともに帰ってきたのではおもしろくない。美濃太田駅で降り、ちょっと歩いてみることにする。
 可児14:19(太多線普通)14:27美濃太田
目指す場所は、「御代櫻」という酒造メーカーである。直売所もないし、見るだけになるが、どんな場所にあるのかは知っておきたかったのだ。


 まずは駅で「観光ガイドマップ」を手にいれる。裏面の地図を見ると、行き方は実に単純だと分かった。美濃太田駅南口ロータリーから伸びる道路を、とにかく真っすぐ進む。進んで旧・中山道に出たら右に曲がって国道41号線を目指すだけなのだ。
 実際にやってみる。駅南口ロータリーから国道21号線へ向け歩く。10分ほど歩くと、国道21号線との交差点に出た。交差点名は「太田本町1」である。ここも渡って直進。この道路の先は堤防道路に続いていて、その手前の十字路に「この先 大型・大型特種自動車通行禁止」の標識が立っている。この標識の立つ十字路を右へ向かう。この道路が旧・中山道なのだ。立ち並ぶ建物の軒先にアンドンが下がっていて、旧街道の雰囲気を匂わせる。
 せっかく来たのだから、いろいろ見て歩くことにした。進んですぐ左手に寺院らしき建物があり、道を回り込んで見ると、太田稲荷と「日本ライン」の命名者、志賀重昂の墓(石碑)があった。この地域が観光地として発展したその最大の要因は、大正2年5月12日に「ライン川の風景に似ている」として、彼が「日本ライン」と命名したからだ。美濃加茂日本昭和村だけではない。
 先ほどの通りへ戻る。さらに歩くと「上町の升形」、そして「中山道太田宿 小松屋」にたどり着く。「小松屋」は一般に開放された休憩所になっていて、1階は自由に見ることができる。投句箱もあるので、俳句を詠みたい方はどうぞ記念に。
 「御代桜醸造」へは15時30分に到着。工場の門は閉まっており、敷地の間を通る道路を抜け、裏へ回ったあと、もう一度先ほどの道へ戻るだけとなった。しかし、建物は明らかに古い板壁作りで、年数もそれ相応に経っており、情緒たっぷりの場所だ。
 この建物と道路を挟んで斜め向かいには、国の重要文化財「旧太田脇本陣林家住宅」がある。さらに進むと、美濃加茂市指定有形文化財「旧太田宿本陣門」がある。昭和初期に現在の位置に移築、平成14年10月に美濃加茂市教育委員会が解体修理をしたと、説明書きに書いてある。よほど古い建物らしい。
 この道の先に「亀谷商店」という酒屋がある。ここが御代桜醸造と提携して独自に販売している酒がある。その名も「純米大吟醸 れんげの郷」という。「れんげ」は美濃加茂市の「市の花」。この酒はレンゲを有機肥料にして契約農家で「山田錦」をつくってもらい、それを原料に御代桜醸造醸造してもらっていると聞いた。味もここだと思うところで発酵を止めてもらい、それから火入れしているそうだ。1タンク貸し切りの上、すぐ近くに酒造メーカーがあるからできるやり方。1.8L3300円。300ml小瓶も用意してあり、6分の1の550円で売っている。
 道を進む。続いて「下町の升形」。角に石の道標が立っており、右を見ると参道の向こうに清流山西福寺がある。そして左には道が続いており、この左へ続く道へ進む。道の先は右へ折れ曲がっており、確かに連続している。このような道路形態を「升形」と言っているようだ。最後は木曾川堤防の遊歩道を歩く。喫茶店脇の細い路地を抜けたら、遊歩道に出られる。ただし、その手前にある道路は時折車が通ってくるので要注意。ところで、さっきこの旧中山道に入って来た道路ってどこだったっけ?
 ウソです。観光ガイドマップを持ってますから。

でも時間があるから途中下車。その2

 寒いネタは放っておき、岐阜へ向かう。路面電車が消えて2カ月、一体あの交差点はどうなったのか?
 JR岐阜駅から名鉄岐阜駅に向け歩く。線路は道路改修とともに舗装され見えなくなっていた。しかし、名鉄岐阜駅前から伸びる線路は、上の架線は撤去されたものの、レール自体はまだ残っていた。交通量が多すぎて撤去できないのか? 路面電車専用信号もまだ残っており、恐らく作動しないよう回路を切り替えただけだろう。
 しかし、よほどの奇跡がない限り、ここに二度と路面電車はやってこない。