テツモグラはいつももがいてます

はてなダイアリー「鉄道旅行とは巡ること」からの移行ブログです。鉄道を含む交通機関関連がメインだけれど実際には雑多ネタ。

JRさわやかウォーキング「可児駅」編

前回よりは早く出たけど

名古屋9:28(セントラルライナー1)9:56多治見
多治見10:00(太多線普通)10:22可児

 9時10分発快速中津川行に乗れれば正解だったが、そううまく行くはずもなし。ギリギリになるが、上記の乗り継ぎで行くことにする。
 名古屋9時18分発普通多治見行は多治見着10時07分で、太多線普通列車に乗り継げない。9時23分発快速エキスポシャトルに乗り、高蔵寺で「セントラルライナー1号」に乗り継ぐ手は、車内改札の際に乗車整理券相当額310円を精算する上、乗車整理券を持っている人が優先着席となるため、結局無駄な行為である。この辺りは時刻表を見てから判断すべきだろうと思う。
 さて、駅ホーム上のベルマートにて腹の足しにパンとジュースを買っていると、「セントラルライナー1号」が入線してきた。今日はこの子のお世話になる。目の前のホームには「エキスポシャトル」待ちの団体さん。添乗員の持つ旗には「JR西日本金沢支社」の文字。逆風直下だけど頑張ってね、と密かにエールを送る。9時28分、「セントラルライナー1号」は定刻どおり発車。
 列車は金山、千種、高蔵寺と順に停車する。高蔵寺で9時54分発の普通列車多治見行に接続。9時18分に先発した普通列車だ。高架線となった愛知環状鉄道線は上を乗り越え、右の山へ。中央線は左に大きくカーブし、そして同じく山の中へと分け入っていく。ここから多治見までの区間は山並みがきれいで、何もイベントがなくても「青空フリーパス」で行きたい場所。
 多治見には10時27分到着。急いで5番線へ向かう。隣には貨物列車が停車中。貨物列車撮影と、キハ11系を後ろから撮影・・・画面が暗い。ありゃりゃ、下手くそ(苦笑)。発車を遅らせてしまうとまずい。あきらめよう。
 外からでも分かったが、いつもはがら空きの太多線普通列車「10時00分発」車内はかなり混んでいた。増発はどうもない様子。10時00分、多治見駅発車。小泉駅で対向列車待ち。姫駅10時16分発。10時21分、下切駅発車。70キロでよく走り切りました。ほんと、褒めてあげたい。可児駅着10時25分。太多線では遅れのうちに入らない。到着と同時に多治見行列車が発車した。

花フェスタ+さわやかウォーキング=混雑。

 可児駅ホームに降り、跨線橋を渡る参加者の列を見定める。最後尾について行こうというつもり。2分ほど待って列の最後尾が見える。付いて上る。上にくる。駅舎の方を見る。なんだ、あの列は!
 改札を出て列の正体が分かった。「花フェスタ2005」会場へ向かうバスを待つ乗客の列だった。何十分待つんだろう? わはは。トイレ待ちの列だと思った。いかん、出発しよう。
 出発は10時30分。可児駅で混雑を避けようとしたが無駄だと分かる。「ふるさと川公園」は歩いて5分程。川沿いをしばらく歩く。川沿いを歩いたらこもり大橋を渡り、広見1丁目交差点を向かって左へ渡る。交差点には、可児市役所と可児市文化創造センターへの進路が出ていた。逆方向へ渡るのだ。
 そのまま向かうと、信号のある交差点にたどり着く。ここを渡って左へ向かう。すぐ可児川沿いに出るから、名鉄線の鉄橋へ向けて歩くのだ。
 しばらく歩いたら、矢作田橋を渡って反対側へ向かう。しばらく歩いて、また橋を渡る。進行方向に向かって左、右、左、右と歩いている。
 11時28分、「平貝戸の化石株」を見学。「天然記念物」を示す標識があるだけで、そばには何もない。そこから少し歩いた橋のそばに、平成10年12月に可児市が立てた看板がある。むしろ珍しいのは・・・。この件は後で写真とともに解説。
 名鉄御嵩線の踏切を渡る。JR職員が紺の制服を着て、名鉄の踏切に立っている。ある意味おもしろい構図だったが、撮影許可が下りないだろうからやめた。本来の目的じゃないし。
 ココストアにてトイレ休憩、11時50分再スタート。柿田交差点を渡り、左側の歩道へ移動する。県道381号線多治見八百津線(花フェスタ記念公園へ向かう道)が大渋滞であることを確認する。12時05分、会場入り口へ到着。当日券販売窓口は大混雑。入場引き換え券がないとすぐに入場できないと判断。万博もそうだが、ツアーか全期間入場券を持っていないと、入場券売り場で混雑し、まともには見て回れないと思う。あきらめましょう。

花フェスタ」会場から明智城跡へ。

 「花フェスタ」は期間中に、できれば(苦笑)。12時14分、会場駐車場入り口から道路の反対側へ渡り、少し戻る。すぐに左へ向かう丁字路があるからそこへ入り、その先の左へ入る細い道を歩く。丁字路に出てきたら左へ向かう。頑張って坂を上り、丁字路を右へ向かう。すると前方左手に森が見えてくる。その中に入ると「曹洞宗天龍寺」がある。この境内には入らず、脇を抜けて右手に竹林を見ながら歩いて行く。その先で「桔梗坂」が左へと伸びており、ここを上って「明智城跡」へと向かう。上がり切ると「二の丸跡」の標識がある。時間にして4分。息が切れた。体力不足、のはずはないが。
 12時36分、明智城本丸跡到着。説明看板「明智城跡」には、明智城は「天守閣等の派手な建物はなく、周囲に土塁や逆茂木を廻らした中世の典型的な山塞」だったと書いてある。なるほど、記念碑以外に何もないが、うっそうと茂る木々がそこに何かあったことを我々に教えてくれる。説明にはさらに、「弘治2年(1556年)斎藤義竜に城を攻略され、光秀は一族再興のため脱出、諸国流浪後、織田信長に仕えて近江丹波54万石の大名となったが、直情径行武断一辺倒の信長とは相容れず、逆臣の汚名を着て非業の最期を遂げた」とある。
 この「明智城跡記(昭和59年12月)」の最後の一文を記しておく。
「郷党の英雄の末路痛恨の極みという外なし。」

明智城跡」から可児駅へ。

 12時59分再スタート。「順路」とある木製看板どおりに進む。落ち葉で覆われ、山城の雰囲気である。13時10分、「見張台跡」到着。ここまでの途中、「六親眷属幽魂塔」というものがあった。昭和48年、地元の有志によりたまたま掘り出された石を調べたら、明智一族の霊を祀ったものであることがわかったという。そばの説明看板にもあるが、隠してまで祀るということは、明智一族がこの地において善政を施してきたという証しでもある。
 竹の地下茎と落ち葉に気をつけて、道を下る。出てきた道路を左へ向かう。道なりに進み、突き当たりを右へ、そしてその先2度丁字路に突き当たるが、すべて左。しばらく直進。その先、広見小学校の前は左カーブになっている。ここを進んでゆとりピア交差点を直進、すぐ先の左手に石段があり、ここを上がる。上り切ったところに岡本太郎の父、岡本一行の句が石碑として残されている。ユーモアにあふれた一句なので、可児市駅前に移設してほしいくらい。
 13時40分、降りて元いた交差点に出る。そのまま坂を下って、広見5丁目交差点へ出る。進行方向は真っすぐで、横断歩道がなく歩道橋を渡ることになる。渡ったら縁石のある左側の歩道を進む。13時55分、スタート時に通った可児川を渡る。
 13時59分、可児駅でゴールを迎えた。小走りに走った区間もあるのに、到着はコース図の所要時間にほぼ近い時間となった(3時間29分)。
 14時59分可児駅発岐阜行普通列車で岐阜へ行き、そこから名古屋方面の快速列車に乗り換えることにする。